勝木 元也

島園 進

ホアン・マシア

村上 和雄

本山 博

第27回 IARP年次大会講 師 インタビュー(IARPマンスリーより)

村上 和雄先生

 日本の精神性「イネ」ゲノムの解読に挑む

  今、力を入れているのはイネの遺伝子暗号解読ですが、イネは世界の主食で約三十億の人が食べています。今世界人口が六十億ですが、二十一世紀中ごろには百億を超えるでしょう。その時十分な食料があるか大変厳しい局面が来る、そういう時に備えて遺伝情報をきちんと集めようという研究をやっています。イネの研究はアメリカとイギリスが強いのですが、アメリカは、すでに四十年前からイネの研究に着手して、フィリピンに国際イネ研究所を作り、莫大な資金を投入して、イネの育成の研究に乗り出しました。それはひとつには米は非常に優秀な食品なんですね。しかも美味しいでしょう、比較的安い。そして栄養価は、一品だけ摂った場合に、植物性蛋白質は動物性蛋白質に劣るのですが、米と大豆、つまり米と豆腐とか、米と納豆という組み合わせが抜群なのですよ。1+1の栄養価が2ではなくて3にも4にもなる。だから米と大豆を食べていると蛋白質栄養価的には肉を食べなくてもいいのですよ。そういう意味で世界の主食の遺伝子暗号解読を何とか日本でやろうと頑張っています。  

それともうひとつ私どもが日本でやろうと思ったのは、日本人のアイデンティティーとか日本人の考え方というものを稲作が形作ってきたわけですね。イネは日本の文化の遺伝子でもあるわけですよ。私たちの祖先はイネには魂があると考えてきました。私が小さいころは、米粒一粒に三人の神様がいて、米粒を無駄にすると罰が当たりますということを聞いて育ちました。ただ単に食用というのではなくて、日本の精神性、あるいは日本の文化と非常に結び付いている米の遺伝子は、ぜひ日本であるいは東洋でやりたいと思い頑張っています。 

科学と精神世界をつなぐ二十一世紀のパラダイムシフト

 多くの科学者は細胞はものからなっているから、ものの研究をしていけばいのちが分かるだろうと思っているのですけれども、いのちというのは物質からだけなっているのかという問題ですが、私はどうも物質だけでは説明できない、要するに人は物だけかということが問題でそこは今の科学では決着がついていないのです。もの以外のことは分からないからものをずっと追いかけてきて、遺伝子の暗号を解読できればいのちはわかるという人がいますが、それは超超楽観的で、DNAの暗号を全部解読しても、いのちの謎は解けない。そうするとどこからいのちが始まるかといいますと、人間としてみると受精卵からいのちがあるわけですし、細胞にもいのちがある。ところが、いのちは何かということは科学的によくわからないということですね。

私たちはこの四月から「二十一世紀のパラダイムシフト」ということで、思いが遺伝子の働きを変えるという、大きな研究会を立ち上げようと思っています。これが私のこれからの大きな仕事で、これは心と遺伝子の関係ですが、要するに心とものとか精神と肉体という、二元に分けてきたものが遺伝子でつながる可能性があります。これは非常に大きなプロジェクトで、心と身体、精神と肉体とか、そういうものの橋渡しをしようと思っているのです。

そのためには、心の動きとか心そのものを科学的にある程度つかまえないとだめなのですよ。そこはなかなか難しいのですが、例えば今、ストレスにかかったらどの遺伝子がどの程度動くかということがある程度測れるのです。今まで私が仮説としてきた、精神的ストレスによってスイッチがオンになったりオフになったりすることが分かりだして、これが本当に証明できれば、教育とか生き方とか精神世界にも大きな影響を与えるのです。ですから多くの人の協力を得て、日本から世界に向けて発信したいと思っています。

「いかに見事に生きますか」「いかに見事に死にますか」

例えばES細胞のことがよく問題にされていますが、日本では、年間五十万人の胎児が堕ろされています。ES細胞よりもっともっと人間に近い胎児のいのちの問題についてはほとんど議論せず、あるいは避けておいて、ES細胞はいいとか悪いとかという問題だけを取り上げているのです。やはりわたしたちはいのちというものは人間だけではできないのだ、というところに立ち帰らないといけないように思うのです。先端技術はいろいろ問題を抱えていますが、一番肝心な「いのちとは何ですか」「いのちとは自分たちのものだけですか」という議論が抜けているんですね。抜けているというより避けて通っているから、臓器移植や脳死も認めてきたわけですよ。

科学は両面を持っていて、善くも悪くも使えますが、いのちの問題について、これは非常に難しいことだけれども、やはりあまり考えてこなかったということが、私はむしろ問題だと思っているのです。

ES細胞を使ってクローン人間を作る技術、これは多くの人がそれはやるべきではないと思っていますが、自分の細胞から自分の臓器を作ることについては多くの人ができればそうしてもらいたいと思っている。しかしそれで問題になるのは、私たちは病気が治り、長生きすることが絶対いいことである、という前提に立っていることです。しかそれだって、本当ですかと疑えるわけです。 

人間は皆死ぬわけでしょう。しかし今の医学は、死はすべて敗北なのです。極端に言えば、お医者さんは病人を治せないことが医学の敗北だと思っている。しかし死が敗北なら、人生は全て最後は敗北で終わるということで、人生は幸せではないわけですね。そうすると「いのちの始まりはどこからですか」という問題もあるけれども「死とは何ですか」という問題もあるわけです。私は「死」も全く自然なのだから「生」だけはあり得ないと思うのです。

なぜなら、細胞は、細胞を生かすためのプログラムを持っているけれども、同時に細胞を殺すためのプログラムも持っていて、それがペアで入っているわけですから、いつまでも生きたいとか、それから特に自分だけは生きたいというのは無理なのです、そもそも。遺伝子細胞から見ていると、生と死は全くペアですから一方だけというわけにはいかない。それが自然なのです。細胞自体が毎日生きて死んでを繰り返している、もの凄く早く。そのためのプログラムをもっているわけですから。

私たちはいつかは死ぬ、それは避けるべきことではなくて「いかに見事に死にますか」ということを、やはりこれは宗教は考えているかもしれないけれど、科学も考え、一般の人も考えなければいけない。そのためには「いかに見事に生きますか」ということとこれまたペアになってくるのです。

ですから、そういう問題が今の私たちの中に解決されないままずっと、いろいろなことが進んでいるのです。

利己的遺伝子と利他的遺伝子を併せ持つ生き物

 生物には、利己的遺伝子と利他的遺伝子の両方があると私は思っていますが、自分のコピーを作れというのは利己的ですよ、人を押しのけておいて自分のコピーだけを作れというのは。確かに細胞には、自分のコピーを作れという遺伝子もあるのですが、細胞は自分自身を生かしながらその周りの臓器を生かしているのです。臓器は自分の役割を果たしながら個体を生かしている。その代わり個体は細胞とか臓器に酸素やエネルギーを与えているわけです。見事に助け合っている。これは利他的な要素があるからですね、周りを生かそうという。このバランスなんですね。

癌細胞は利己的遺伝子オンリーで、自分だけがものすごく増えて、その結果、臓器を殺し個体を殺し最終的には自分も死んでしまう。それを見ていると、やはり生も死もそうだし、利己的と利他的のバランスに乗っているのが生き物ではないかと思うのですね。

「みんなちがって、みんないい」

 遺伝子暗号の解読に取り組んできてわかったことなのですが、ノーベル賞級の人と、一般の人の遺伝子暗号の並び方の差は、わずか0・1%に過ぎません。残りの99・9%は同じなのです。しかし同時に、全ての人の遺伝子は違いを持っていて、「みんなちがって、みんないい」わけで、私たちは人と比較するために生まれてきているのではなく、自分の花を咲かせるために生まれてきているのだと思うのです。

すなわち人間として生まれてきたということはすごいことなのです。なぜなら私どもは魚で終わったかもしれないのですよ。お母さんのおなかの中で、胎児が魚や爬虫類などの形を経て、人間までたどり着いて生まれてきたということは、奇跡的なことで、後は0・1%の差。0・1%というのは誤差の範囲なのです。誤差はあまり問題にせずに、人間として生まれてきたことの素晴らしい可能性を私たちはもう少し自覚する必要があるのです。そして、自分の中に眠っている才能を呼び起こす、多くの眠っている遺伝子を呼び覚ます、すなわち、その遺伝子のスイッチをオンにすることができれば、素晴らしい可能性が花開く、そういうことが科学の言葉で語られる時代が今来つつあるということで、二十一世紀は面白い時代になります。

サムシング・グレートからのメッセージ

私は、遺伝子の暗号を書き込み、そしてそれを間違いなく動かしている何者か、というものを考えざるを得ないのです。万巻の書物に値する人間の設計図を極微の空間に書き込んで、しかもそれを間違いなく働かせている、これは人間業ではないのです。それを私はサムシング・グレートと呼んでいますが、そのおかげで生きているのですよ。そういうものを私どもが少し感じたりそれに感謝したりするという生き方をすれば、私はよい遺伝子のスイッチが入ると思っています。

なぜならば、遺伝子の暗号を書いたのはサムシング・グレートだからですよ。サムシング・グレートとはいのちの親と考える。いのちの親は何のために子供を作ったかというと、私の考えるのはやはり子供の幸せなのですよ。いのちの親のような立派な親が、ある特定の人だけに幸せを与えることはないはずで、みんなを幸せにしようと願っている。その証拠に99・9%と同じ遺伝子暗号を持って生まれてきているのです。ですから皆素晴らしい可能性を持っている、皆が幸せになれる。幸せにならないといけない。そういうこと私は遺伝子の研究で感じたり考えたりしています。

もうひとつはサムシング・グレートというのは何かということを知りたいですけれども、これは永遠のテーマです。おそらくわからないかもしれないけれども、人間には。しかし遺伝子の暗号を書いたのはサムシング・グレートですから、そこにはやはりメッセージがあるだろうと思うのです。それを一部でも解読できるようになったということはすごいことですよね。そういう意味で私は遺伝子の研究をやってきてよかったと思っています。遺伝子からのメッセージ、サムシング・グレートからのメッセージを一般の人に科学者の立場で語っていきたい、あるいは研究していきたいと思っています。そのために多くの人と一緒に仕事をし、協力をすることは、本当の意味での宗教性と、本当の意味での科学性とをつないでいきますから、両方絶対必要なのですよ、これから。一方だけではだめなのです。

特に自分だけが偉いとか自分の宗教だけが正しいとというのは間違っている。いのちの親が自分のところの神様を信じたら助けるとか、他の神様を信じたら助けないというようなケチなことは絶対言わない。サムシング・グレートを信じる、信じないとは無関係に、私たちの体の中にサムシング・グレートの働きがあるわけです。そうでなかったら生きていられない。ですから宗教を信じたい人は信じていいし、信仰者の中に素晴らしい人もおられますから、しかし自分のところだけが正しいというのはちょっと狭いのではないかと思うのです。世界中みんながいのちの親の子供なのですよ。兄弟げんかをして殺し合いをやっている、やっぱりそれはおかしいのです。

それで私は神仏と言わず、サムシング・グレートと言っているのです。

(了)


-講師インタビュー(本山 博先生)-

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