>> home >> about us
TOPページインフォメーションヨガ・瞑想案内

IARPマンスリー    過去掲載された文より抜粋
 バックナンバー   124号「信仰の始まり」  121号 天国と神界   250号 「経絡体操とは」
 マンスリーバックナンバー リスト (1973年2月~77年1月)

マンスリー118号

「沈んだ種子」

1983/7/30-31専門クラスより   本山 博

 ー前略ー
 沈んだ種子
 それでは次に、カルマの種子の状態がどんな形であるかということについて話します。だいたい三つか四つの状態に分けられると思うんだね。非常に深く隠れていてね、表面に出て来ない状態、つまり非常に執われの強い状態、霊の世界なんだけど物の力が非常に強く動いていて、ちょうどブラックホールのようなものだね、一切がある状態の中に閉じ込められてしまって動けないような状態、そういう静止しているような、一見無活動のような種子というのがあるわけだね。こういうのは心霊相談でも見えにくいんだね。
表面に出てきて、ちょうどさっきの話のようにフィリピンの戦車隊の隊長で、今でもアストラルの次元で暴れ回っている、それはアストラルの次元の種なんだけど現実にはあらわれてはいないね、しかしアストラルの次元で動いている訳だね。
つまり種というのは、この世の現実には充分顕現していないという意味では種なんだけども、実際アストラルの世界ではよく動いている訳だよね。そういうのは簡単によく見える訳だね。アストラル界の現象としてよく動いているんだから。
 民族同志のカルマ
 ところが、深くずっと沈み込んだ状態になっているような種子というのは大変見にくい(霊視しにくい)んだね。例えば、(東京都)三鷹の駅の南側はずい分商店街ができて、結構栄えているんだけど、どこかで沈み込んでいるようなところがあって、これが北側の方はもっとひどくて武蔵野市でも開発しようと思ってるんだけども地主と折衝がうまくつかない。今度、その地主が亡くなったので、息子たちが受け遺いだが、相続税がべらぼうだというので、市の方へ借地契約をつけた。
ところが、その長男というのが自閉症になってしまって、契約も何もできなくなってしまったというので、相談に見えたんだけど、四、五年前かな、ある人がその辺りで商売をしていて続けた方がいいか、止めた方がいいかと私のところに相談に来たとき、その辺りの土地は悪いからなるべく早く出た方がいいと言って、その人は立ち退いたんだけどね、その四、五年前位は、その土地が悪いということが、その程度にしか出て来なかったんだけれどもね、ところが今回その地主の息子が相談に見えて調べていると、千年位前に朝鮮の方かな、大和朝廷というのは文化を割合朝鮮からとり入れている訳だね。
 国の制度組繊の運営のしかた、律令とか支那や朝鮮から取り入れている訳だけど、朝鮮からそれらを教えにたくさんの人達がやって来ていろいろなことを伝えた。大和朝廷側はそれらをある程度習得すると、今度は朝鮮の人達が勢力を持つといけないから、方々へ流したらしいんだね。ちょうどその三鷹駅の北側の辺には朝鮮の人達が流されて来たらしいんだね。見ていると、けやきやら熊笹やらが一杯繁っていて、それらを切ったり炊いたりしながら開墾しているのが見えたんだけど、ずいぶん難渋して、たくさんの人が死んで、日本の朝廷のためにさんざん働かされて、結局そんなふうになっちゃった。だから、それらの朝鮮の人達の民族的な憎しみの気持ちが非常に強かったように思うんだね。ところが、このあと二、三百年位して源頼朝の近辺じゃないかと思ったんだけど、また開墾の人達がだいぶ送り込まれて来たらしいんだけどね。
 三鷹駅から北西の線に沿って、ずい分いろいろなものが見えて、人がたくさん死んで埋められているのが、二キロ位に渡って見えた。それはちょうど水路のようなものじゃないかと思うんだけど地主の大きな屋敷が二つほどあるその場所も、一つの死体を一杯捨てた所なんだね。そこの家には、二人息子がいて、長兄がそこに住んでいるんだけど、次男の方もちょっと精神的に悪くなって病院に入ったんだね。ところが、そこから移って引っ越したらね、非常に元気になった。だから、ちょうどその辺りで土地争いやらいろいろあったと思うんだね。それがそこが栄えないための一番の原凶だと思うんだね、朝鮮の人たちの難渋したこととかが。また、どうやら首切りの刑場も江戸時代前よりあったらしいんだね。興味深いのは、この北西の二キ口位の線に沿って、精神病の人が二十人位居る。軽い人達を入れると百人位になる。そういうのは、大程争い等で殺されたというケースが非常に多い。そこの場所から移ると直ってしまうんだね。
 今やっと顕現してきた
 それで、今はどういう状態かというと母親は茨木の人なんだけど、父親が朝鮮のタイキュウというところで校長をしていて、この時にこの本人が生まれた。今一番問題が起きて因っているのは、ビルを建てたりしようとするんだけど、必ずもめて契約まで一年も二年もすったもんだする訳です。相手はみんな朝鮮の人達で、そこら辺を占めているんだね。開発ができなくて困っていたんだね。だが、これはね、もともと大和朝廷がね -その当時の朝廷というのは朝鮮の高魔とか百済とかいうところの王様が移って来た形跡があるんだね、どっちにしても身内同志のケンカなのかもしれないんだけど、今でもその千年も前の頃のことがずっと尾を引いていて、朝鮮人の住民と日本側とがもめているんだね。結局それは個人じゃなくて、民族同志のカルマだね。千年前から百年位で、朝鮮の人たちが死んでしまって、それから二、三百年はまた原始林のままで、五、六百年前に開墾したりしたんだけどまたダメになっちゃった。そして二百五十年位前まではずっと原生林のままだったんだね。その間は人間同志の争いというのはなくて カルマの種子はずっと非顕現の状態で穏れて動いていない訳なんだね。千年位たった今、そのカルマが非常によく動くようになったんだね。それはやはり、その土地が、土地の魂が、今まで勢いがなかったんだけれども、人や魂を呼び寄せる勢いを今持ってきたからだと思うが、民族の魂とか、千年位前の朝鮮人の前生とかの再生だったり、あるいは死んだ人達や民族の魂が、現実に朝鮮の人達をそこへ呼んできて、動いている。だから、やっと今顕現してきた訳だね。そんな風に種子の状態もいろいろあるんです。
 非顕現の種子がわかるには
 そこでね、アストラルの次元で心が自由になった人というのは、いわゆるアストラルの次元での霊能者となる訳です。 そういう人はアストラルの次元で動いて働いている人の前生は見ることができる。前生はたくさんあるんだけど、その中の全部が今動いているというのではなくてね。その中のある一つか二つの前生のパターンが非常に強く動いて、今生に影響を与えている。ところが百なら百の前生に一貫しているAならAという本質的なもの、それは、アストラルだけしかわからない霊能者にはわからない。今、アストラルの次元で主に動いている前生はわかるけれども、それ以上のことはわかりにくい。だから、それぞれの形をとって表われている、アストラルで動かざるを得ない、現実に顕現したり、再生したりせざるを得ない理由というのは、なかなかそういう人にはわかりにくいね。
つまり、アストラル界の前生なんかは、一つ一つは全く別人のように見える。それがAならAという個人だとわかるようになるのは、少なくとも、アストラル以上、カラーナといった個人のカルマを越えた世界に行かぬと、カラーナの次元の個人、アストラルの次元の個人の一貫性というのはわからない。ところが、そのようなことのわかる、より自由なより純粋な精神の状態になったら、つまり真我というものに本当に目覚めたら、非顕現の状態の種子であっても、それは顕現をしていないという一つの現象、穏れているという現象、つまり、働いていないという一つの働きをしている訳だからね。
あるものが、今は現象している、していない、働いている、働いていないの違いはあるけれども、いづれにしてもそれはある限りをもった現象の世界、カルマの世界のものには違いない訳だね。たとえ非顕現であっても非常に穏れた状態の種であっても、個人のカルマを越えた目から見れば見えるんだね。ただ、いつもいつも見えるというのでもなくて、深い三昧の状態で本当に真我に達した境地のときには見える。
 本当の前生か
 本当に前生を見ているのかどうかということはね、いい加減な想像にすぎないのではないかどうか、というのはね、もし前生で本当にそういうことがあったとすると、必ずこの世の現実と何かの関係があるんだね。
例えば、その前生の何かが出てきて本人に知らされた場合、それと同じようなことが、現実に急激に起こることがよくある。だからそういう意味では非常に注意をしないと、前生調べというのは危険なんだね。つまり、前生を引っぱり出して来たとき、それがまだ出てきてはいけない状態のものが、そして本人がそれを受け入れることができない状態のときに、それを無理に教えたりすると、本人の、例えば、苦しかったり辛かったりした前生の種子が、穏れている方が、本人には良いから穏れているのに、それを出した場合にはね、ひどい病気になったり、仕事ができなくなったり、死んでしまうこともあるんだね。
 無理に知りたい知りたいということでなくて、それを受け入れられる用意を充分にしないとね。それで、前生でも何でもないことを、維かが言ったとしても、それは現実には何にも出て来ないから、何ともない訳だな。だから、そういうのは非常に疑問だと思うんだね。例えば先きの鉄砲に撃たれた跡が腹にあった、また、本山-ペントフ奨学生で日本に来ていた、ギルラという人の場合も、前生を見たらね、昔ユダヤ人がギリシセやスペイン、ロシアの方に散って逃げていったことがあって、その時のユダヤ人が彼の前生の一つで、ギリシャに逃げて砂漠をずっと越えていって、黒海、ロシアの方に逃げていった。その時に蛇に囲まれて咬まれてずい分苦しんだんだね。これはその時に教えた前生の一つなんだけど、その後で、現実に、あくる日かな、彼の泊っていた宿舎の風呂の中に二メートル位の大きな蛇がでてきたんだね。そのように、何か調べてそれが本当に前生のものならば、それを暗示するものが必ずあって出て来る訳だね。それが出て来ないようなら、当てにならない。
 心が開けないと種子は現れない
 では、そのような前生のカルマを解くにはどうするかというのだけど、いつも言うようにカルマを越えた世界に行かなければだめな訳だね。じやあ、カルマを消すにはどうすればいいか、ということだけど、カルマを越えた世界にまで行ったら、種の状態、種子の状態であってもそのカルマを消すことができるんだね。
種の状態でね。種を持っていたら必ず芽は出るでしょ。ところが、その種を焼いて消してしまえば、芽は出ないから、生まれ変わる必要もない。晋通の人間は種を種の状態で消すことはできない。
 では、それをどうしたらいいかということだけど、それはもうカルマの法則だから生まれたり死んだりするのは仕方ないんだけれども、先にも話したように種がずっと沈み込んでしまった状態、つまり物の力に心が執われてしまった状態でいたら、種がいつまでも出て来にくい訳だね。ちょうどブラックホールの中に吸い込まれたものは何一つ出て来られないのと同じようにね。自分の心が非常に利己的で自分を中心に考える、それが強ければ強いほど種というのはなくならない。
だからそういう場合は再生するのにも非常に時間がかかる訳だね。ところがある程度自分の心をはなれて、自分をつきはなして見られるようになった魂というのは、再生はしやすいし、自分の心の中にある種も、割合自由になった自分の心が、その種の発芽を促進することができて、果が現れてくる。だから、そのようにカルマの中で生きている限りは、種が発芽をして、現実に再生をして結果としてはっきりあらわれない限りは、その種はエネルギーを失うことはない。つまりこの世の中で、あるものが存在するということは心のエネルギー、物のエネルギーをもっているから存在する訳だね。だから、そういう心のエネルギーや物のエネルギーがいらなくても、なくても、存在できるときは悟っている訳です。ところが悟っていないカルマの中に落ちている限りは物のエネルギ-や心のエネルギーがないと存在できない。
 ただするだけがあれば
 再生したら、そのとき自分というものに執われないでね、働らくなり何かするなりのカルマがあって再生したのだから、そのままに一生懸命にやっていれば、それはその種のエネルギーを消費して発散していることなんだから、ただ一生懸命にやって結果に執われず、結果は何が起こっても受け入れて、果を求めない。そのようにすればよいんだけれど、結果を求めると、そこに結果を求める自分ができて、すればするほど自分に落ちてゆく。
自分がするのじゃなくて、ただするだけがあったら、してもしても自分は残らないで消えるし、結果を求める自分がなかったら何が起きても大丈夫なんだよ。そうすればね、再生の種となった心や体のエネルギーは一生を終えたら済んでなくなっちゃう。消えて無くなる。 そこがうまくできないとまた再生する。
一つのチャクラを突破口として
 まぁ、何百億年かいつかはわからないけれど、いつかは皆も悟って物の世界がなくなる時が来るんだから、それまで何度も生まれ変わりながら待っていてもいいよね。そのつもりで生まれ変わって来るんなら構わないんだよ。例えば水爆で焼け死んでも、また生まれ変わってくればいいんだからね。でもその時は焼けただれた跡がアザになって残るかもしれんけど(笑)。でも、それでもよければそれだって構わない訳ですね。ただ、今生活していて、しかも本当にカルマを越えた世界にゆこうとするには、今言ったより他に方法がない。
 それを促進する方法として行があるんだ。つまり行をするというのは、一つのチャクラを突破口として、今物理的な次元の体に落ち込んでいる自分をやめて、その突破口からはい出るために行をするんだ。で、こういう話しを聞いて、「あ、それはいい」と思う人はそぅいう心掛けで一生懸命すると、非常に早いんだよ。ところが、十年やっても二十年やっても余り変わりばえしない人は、どこかで自分を持っているから、変わりばえしないんだね。でもね、一度カルマを越えた世界へ行って、心の自由というものがどういうものかというのがわかったらね。こんな汚ないカルマの世界なんてアホらしくて降りて来られないんだよ。一端、体や存在というものに縛られない本当の心の自由というものが少しでもわかったら、更に努力をして、完全な自由な状態、絶対の境地にゆきたいという気持ちが、それこそ地の底から湧いて来るように出て来ると思う。たとえ片鱗でもわかったら、行をせずにおれない。
 一つでいいから 
 せっかく皆始めようと思ったんだから、全部という訳にはゆかないわね、でも一つでもいいから、自分はそれがどうしても弱い、これならできそうだということがらを、結果を求めない心掛けでやってみるといいね。一年でも二年でも、そうすると非常に心が成長して来るよ。
 数学の嫌いな人、数学のことを考えただけで頭が痛くなるという人は、数学の成績がよくなるとかということを考えないで、ただ数学の勉強をひたすら、一日一時間でもいいから一生懸命やるだけやってみて、結果はどうだっていい。あれだけ勉強したのにやっぱり0点だった、でも構わないんだね。それから、主人が自分のことをぼろくそに言って、してもしてもだめだ、という人は、一つでもいいから主人が好みそうなことを、なんでもいいから一生懸命して、主人が喜んでくれようと、ぼろくそにおまえみたいなアンポンタンはいないと言われようと構わないから一生懸命にやってみてごらんよ。会社へ勤めている人で、あの部長のハゲ頭め、頭に水でもぶっかけてやりたい(笑)というように腹の立った人は、その部長に言われたことを何でも良いから、一生懸命にして、誉めてくれようがくれまいが、一生懸命会社のためにやってみるといい。
そういうふうに、一つでいいんだよ。何かやってみてごらんよ。そうすると心がうんと自由に成長して来る。そういう風になってくると、ノイローゼのようなのは、いっぺんで治る。三日でいいからやってみると、自分の心が変わって来るのがわかる。それでね、心が変わるとね、体というのは心の付属品なんだから勝手に良くなるんだよ。病気のようなものは勝手に治っちゃう。病気というのは、そりゃもちろんカルマによるんだけどね、病気っていうのはね、もう死んでも生きても構わないと、心の底から思えて、ただの気持ちじゃなくて、この病気で死んでも生きても構わないんだと病気を放ったらかして、構わないようになったら、病気っていうのはどういうものか勝手に治っちゃうんだね。カルマを解くにも同じやり方でないと解けない。それにつかまっている限りは、いつまでたってもカルマというのは越えられんね。つかまっている限りは、つかまっていることを種にして自分の中にまた植えつけることになる。いつまでたっても解けない。
 タイプが決まっている。だけどそれが百できるか十しかできないか、あるいはもっと違ったようにできるか、ということは、今回の努力や行為によって決まる訳なんだから。だから何も前生通りになる訳ではないんだよ。必らず変わる。
ところがね、最善の努力をしないと変わらないんだよ。大程の場合は前生で決めた通りにおちこんでしまう。ところが、超作をしたり行をしたりすれば、百の難が一で済むこともある。一しか得られない福も百になることもある。ただ種類は変わらないんだ。ただ量は変わる。しかし、量が変わってくるとね、次第に質も変わってくるんだね。だから、今の生き方によって、前生で自分が決めた枠の中だけでも、同じ種類の方向だけれども、千か百かは今の努力で決まるから、何も前生通りになる訳ではない。

  ー後略ー

     マンスリー次へ 121号 天国と神界


バックナンバー 124号「信仰の始まり」  121号 天国と神界   250号 「経絡体操とは」
 購読会員
 <マンスリー(会報)>
 月1回、IARPマンスリーをお送りいたします。(なお正会員に限る行事には参加できません)

 購読料 8,000円 IARP機関紙「IARPマンスリー」(月1回発行)
 購読料は郵便振替で一括支払でお願いいたします。
 <バックナンバー>
 過去のマンスリーご希望の方は何月号希望かを記入し郵便振込みでお申し込みください。
  (未会員の方は3年前までのマンスリーを販売しております)
 一部 会員200円 未会員400円  送料 120円(4部以上一律210円)
 (在庫がないものはコピーしたものとなります)
 郵便振替   国際宗教・超心理学会 00120-6-166943

 お申し込み MAIL


| ヨガ・瞑想 | 講演会 | 研究 |
2003 IARP. All rights reserved.