私とCIHS

CIHS人間科学部生命物理学科博士課程
馬場秀樹

私がCIHSに来たのは1999年7月3日です。東部ペンシルヴァニア州フィラデルフィアのテンプル大学を宗教学で卒業後、やってきました。それから、はや2年半経ち今はHuman Science の博士課程に籍をおいています。テンプル大学での3年間そしてCIHSでの2年半、計5年半のアメリカ生活は大変でしたが自分自身の成長という意味でとても実り大きい時間だったと思います。特に、CIHSでの2年半というのは大袈裟かもしれませんが人生の中で大きな転換期だといっても過言ではないと思います。

その理由として3つあげられると思います。1つは本山先生にお会いでき先生のクラスやワークショップ、また生活の中で数々の貴重な教えを乞う機会を与えて頂いていること。次にCIHSの研究機器 (AMI,シールドルーム、バイオフォトンカウンターなど)が全米でも数少ない研究設備をそなえていて、それらを基にホリステイックで自由に学問を追求できること。そして、最後にSan Diego 特有の1年を通しあまり温度差がないという温暖な気候の為、常に心身共に良い状態を保つ事ができ、オープンで前向きな思考で生活に勉強にそしてスポーツに打ち込むことができるということがあげられると思います。

このような素晴らしい環境と気候にあるCIHSで学べるということは非常に有り難く、これからの私の人生においても大きな意味をもってくる事と思います。今回、この紙面でCIHSでの生活について書く機会を与えていただいたので、私事ではありますが、自分がどのようないきさつでCIHSにきたか、CIHSで何を勉強しているのか、そしてこれから何を研究対象として論文を書いていくのかということを通じてCIHSの特色を紹介していきたいと思います。

私はまず高校を卒業してイギリスに英語を勉強しにいきました。勉強といっても私は勉強は嫌いなんです。どちらかというと、身体を動かして何かしているのが性に合っている質でどうも勉強は苦手で大学には全然行く気はありませんでした。ですが、英語だけは得意で好きだったのでイギリスの語学学校にいきました。勿論、海外での生活というのは初めてで非常に新鮮でした。しかし、性格というのは環境が変わっても変わらないもので、語学学校での勉強にはなじめず、全然行きませんでした。しかし、ホームステイ先の同年代の子どもや彼の友達と1日中遊んでいたので、日本に帰る頃には学校の他の生徒よりも全然英語が上達していたのを覚えています。

この、イギリスでの友達との経験の中で疑問に思うことが幾つかありました。なぜ、こんなにも同じ人間なのに考えかたや遊びに対する感覚が違うのだろう、また、文化の違いというのはどうして生まれたのか、という疑問をもっていました。それで、学校が終わり日本に帰る前にエジプトに行ったのですが、そこでカイロ博物館に行ったときに私が雇ったガイドがカイロ大学の人類学の教授で、当たり前ですが何でも知っているのです。それで、大学というところはこのような専門家が教えているんだと、いうことに非常に感銘を受け、それなら大学で自分がもった疑問を勉強しようと思い、日本に帰ってきてテンプル大学日本校に入学しました。アメリカの大学は周知のとおり、英語を母国語としない生徒でも、英語ができたら比較的容易に入学でき、また入学時に専攻を決めなくていいのでその当時の自分にとって最適の選択でした。

何科目か勉強していく中で気が付いた事は、自分が持った疑問は人間それ自身の問題に他ならないのではないかという事でした。そのような時期にたまたま、World Religion というクラスがあり必須科目だったのでとりました。そのクラスではヒンズー教、キリスト教、そして仏教を勉強するのですが、色々な文化の違い、またその中の思考様式の違いというのは人間の根幹を支えている宗教によるものではないかと思い、宗教をまた仏教徒として仏教を専門に勉強していこうと決めました。

それからその教授のクラスを取り続けました。その教授はもともとキリスト教の専門だったのですが禅のクラスも教えていて、彼のところに禅をもっと勉強したいと相談にいったら、「僕が教えられることはもう無いからフィラデルフィア本校で日本仏教専門の教授でトーマス デイーンという僕の友達いるからそちらに行きなさい」とアドバイスしていただき、1996年の夏にアメリカにきました。そして、その教授のところに行き禅を勉強したいといったら、それだったら禅の専門家がいるからというので、すぐに長友繁法教授を紹介していただきました。以後、長友先生には2年半近く禅、東洋哲学、そしてペーパーの書き方など御指導して頂き、時には先生の大学院でのクラスにも聴講さしていただきました。

長友先生は、私にとっては本当に雲の上のような人であり、少しでも先生に近づきたいという思いで、長友先生が博士号を取られたハワイ大学大学院に願書を提出しました。しかし、私は理数系が非常に弱く成績がとても悪かったのでそれが足を引っ張り結局ハワイ大学には入学できませんでした。それで、その報告をしに長友先生の所に行った時に、「僕の先生で本山博先生という方が San Diegoで大学院を設立してそこに比較宗教学があるから」というので推薦していただきました。

即刻、CIHSから願書を取り寄せました。CIHSは毎学期に入学許可をだしているので、その次の学期からの入学を許可してもらい、荷物をトラックにつめ、私の先生の先生である本山先生に教えていただけるという思いで飛ぶように大陸を横断してきました。それが、1999年の7月です。

しかし、急いで来たのはいいのですが、CIHSに来てまず気付いたことは本山先生がいつもいらしゃらない。また、他の宗教学の教授も客員教授なのでいつも学校にはいません。ですから、宗教が勉強できるのは本山先生がこちらにいらっしゃる冬と夏の年2回と、他の客員教授が教えているときです。

私が本山先生と初めてお会いしたのは1999年の10月のチャクラに関するワークショップでした。私は、チャクラに関しては殆どといっていいほど無知でした。本山先生御自身の宗教、神秘体験に基づき霊界との関係のなかで、展開される講義には感激し自分の中で新しい宗教観が生まれました。その外にも、"催眠現象と宗教経験"や"カルマと再生"などのクラスなども非常に自分の宗教観を深めることができました。このような分野は日本でもそうですがアメリカでもアカデミックな力が大きく働いている大きな大学では勉強することはできません。ですから、CIHSのような形而上学、超心理学、また霊界などの分野が多面的にオープンに学べるというのはとても貴重だと思います。

それゆえに、比較宗教学科があまり活発に運営されていないというのは惜しい気がします。しかし、そのおかげといったら変ですが、私は新しい発見をすることができました。それは、人間科学部で学んだ理数系の新しい知識です。

私は、CIHSに来て毎学期宗教学のクラスがないと分かり、比較宗教学部から人間科学部に移りました。これは、自分のなかでとても大きなチャレンジでした。なにしろ、理数系はその成績の悪さで他の大学院に入れなかったくらいできないものですから、人間科学部では必修である統計学、物理学、量子力学などには殆ど恐怖に近いものを感じていました。しかし、実際やってみると自分でも驚くほどにできるんです。これはシバリエー教授やその時一緒にとっていた友達のおかげもあるのですが時間がかかり大変でしたが少しずつ理解することができました。CIHSは生徒数が少ないですから殆どのクラスで同じ顔ぶれなのです。私がこれらのクラスを取っていたとき5学期間、1年と3ヶ月の間同じ生徒5人とシバリエー教授とやってきました。ですからクラスの中だけでなく学校全体がで家族のような感がありとても勉強しやすい環境で、分からなくて質問したらみんなで親身になって考え議論するという感じです。そのお陰で理解でき自分の苦手意識を克服できた気がします。私は、CIHSのこのような家族的雰囲気もひとつの特徴だと思います。

このように私が修士をとる頃にはだいぶサイエンスが何たるものか分かってきて、CIHSの信条の一つであります宗教と科学の統合というものも少し自分の中で見えてきたような気がしました。また、これらの科学の勉強を通してCIHSが備えているAMI、Biophoton Counter、またシールドルームなどの理論が解り、またこれらの機器が如何に本山先生の宗教体験を科学的に分析し既存の世界宗教を統合した新しいホリステイックな宗教哲学を体系づけたのに役立って来たのかというのがわかってきたような気がします。

私は人間科学部博士課程で学び1年経ちそろそろ論文のテーマを絞っていく時期にきています。やはり、私としてはCIHSでの中でのこのような特色を活かし論文を書けたらと思っています。今現在自分の中でどのようなアイデアがあるかというと、宗教と音というのがあります。波動としての音という枠組みの中で宗教を比較して研究したいと思っています。

例えば、古代のヴォーカリゼーションでは、読経の仕方があります。今でも、真言密教では12くらいの読み方が残っています。また、仏教音楽で単線律による無伴奏の声楽曲で声明というのがありますが、その様式技法は日本音楽の形成に大きな影響を与えました。特に、真言、天台両声明は雅楽とならぶ伝統的な音楽理論を持っています。

ですから、音の違いというのは昔の人は重視していたのではないかと思います。"おとずれ"という言葉がありますが、その語源は"音連れ"です。神がいらしたときに、姿、形は見えないけど何か音をもたらした。人々はそれを感じたいと思う。風鈴というのはその一つの例だと思います。風のもたらす音と人工の音を器用に聞き分けてその音の違いの中に神様を感じ取っていく。また、川の音、自然の音と、人工の声明が競い合っていく中で行をやっていく、そのような鋭い感性のようなものが人間にはあると思います。

そういう意味で、音というのは人間にとって非常に不思議な力をもっていて、それゆえに生活にまた宗教に顕れてきているのではないかと思います。このような、観点から宗教の中の音を波動として科学的立場から観てそれを比較宗教哲学の中に統合してみたく、今研究しています。

また、これらのテーマを通じて、いつも本山先生がおっしゃっています人間は物質的身体のみの存在ではなく、心も神性をもつ多重的、全体的存在でありその全体の進化が人間にとって重要あり、そしてこの様な理解が先生の理念であります地球社会の、またその共同体内での世界の諸宗教の共存、相互尊重に重要であるということを理解でき表現できたらと思っております。

最後に、私の学友であります4人の人間科学部の博士課程の研究テーマを紹介したいと思います。まず、インドからのマニッシュ  ヴェカリア。彼とは、同じ時期にCIHSに来たので私の一番古い友達で、今、意図に因る Biophoton の分光特色を研究しています。次に、フランスからのデニス ベダットは、Binral Beat による人工的な脳波のシフトによるESPの研究をしています。彼とは、夏に、超心理学のクラスをとり共同で実験をしました。このペーパーはインターネットにポストしてあるので、興味のある方は下記のアドレスにアクセスしてください。

http://www.neuroacoustic.com/parapsychologyfinal.htm

そして、前回のニューズレターに本山先生への手紙が掲載されたジョン  アヨウブはAMI とCortisolテストを使ったストレスレヴェルの研究を、また、同じ日本からの森一仁君は、経絡の電気生理学的な特性をAMI と赤外線カメラを使って解析するという研究に打ち込んでいます。私も含めて他の生徒もCIHSが大好きで勉強と研究をやっているのですが、森君は人一倍そのような気持ちが強く、先日、二人で話す機会があったときに、自分は絶対自分の研究によってCIHSを世に知らしめるという気持ちで研究したいと語ってくれました。

この他にも、もう一人インドからの学生でナヴィーン ラオという学生がいます。今、彼は今色々な事情で学校には来ていませんが、また、復帰してくることと思います。それと、先学期から心理学部の修士課程に2人の学生が南米のエクアドルから来ました。

このように、CIHS は段々と国際色豊かになってきています。これも、本山先生の地球社会という考えがCIHS という学校を通じて実現されているのではないでしょうか。私たち学生にしてみればCIHS は、このような国際色の豊かさ、研究機器のユニークさ、授業内容の幅広さ、そして、San Diego の気候の良さ、と言う意味では非常に勉強するには素晴らしい環境を備えた大学院―研究機関だと思います。これも、本山先生のお力また努力のおかげであり、先生の真理を追求し続けるという姿勢がCIHS という形で実現されたからだと思います。最後に、このような素晴らしい学校を創立し、私たち学生に勉強、研究する機会を与えてくださっている本山先生と奥様、それにその学校を支えてくださっている教授やスタッフそして、日本において CIHS を様々な形で支え続けて下さっている多くの方々に感謝しつつこの辺で終わりにさせていただきたいと思います。

以上